▼▼十法界抄本迹自鏡編▼▼ 一、此の書都合四問三答、吾が祖より発問し第四重の難問に至りて正しく本門観心の意を顕す、是れ則ち此の書の本意なり。▼▼一、題号の十法界とは本門の極談なり。故に語端を真の十法界互具に発す。此は是れ開目抄に謂う所の爾前迹門の十界の因果を打破りて本門の十界の因果を説き顕すとは是れなり。而して次上の文に所謂、爾前迹門の四教の因果を打ち破るとは、先ず釈尊一仏の重位に約して、文の表は破迹にして、而して一時開迹顕本なり。然るに次下の文に至りて、所謂本因本果の法門なりとは、ただ釈尊の因果を指すのみに非ず、無始の生界仏界の事理の当体全く釈尊因果の事理と與かる、即ち事理の体は一なり。是の故に件の十界の総体の因果を指して、則ち十界の因果を説き顕すと曰へり。此は是れ釈尊の本因本果を用つて、之を以て十界に冠せしめ、之を判断したまう故に、故に本因本果の法門と曰うなり。小子祖判の語勢を熟覧すべし。また一念三千は十界互具に従り事起こり、真の一念三千は宗祖の魂魄は開目抄に在って顕然たり。所以に今書の題号もまた其の意を顕す。▼▼▼▼▼▼一、今の書の文字仮名及び点を改るが如きは、まず啓蒙の指南に任すべし。▼▼一、吾祖第二重の難問に云わく、爾前迹門乃至五時の円人を以て皆天人阿修羅と云う、豈に未断惑に非ずや。 ▼▼▼一、吾祖第三重の難問に云わく、法華本門並びに観心の智慧を起こさずんば円仏と成らず。同重に云う、本門観心の時は是れ実義に非ず、一往許すのみ、其の実義を論ずれば如来久遠の本に迷うと。▼▼▼▼吾祖第四重の難問の下(卅一ヲ)、四重興廃の下自鏡編第三十條第四十條の如し。▼▼▼(達師台家本勝篇中の本門過去常の題下以下往見)▼▼一、未来章世間相常住判は、文句に曰わく、是の法住の一行は理一を頌すと。▼▼▼▼私に云く、是の法は能住の生仏の事法なり、法位は此れ生仏所住の一理なり。玄義一に曰わく、本地甚深の奥蔵なりの文にいう、是法不可示世間相常住と。▼▼▼▼私に云く、此の理体の重に於いては則ち三世九世の限量を離る。然るに文句九に此の経文を引き、以て未来常住を証することは、謂く経に道場知已という。爰(ここ)を以てただ未来の仏此の理を証得し已(おわっ)て後、法身の未来常住の義を用い、之を以て実仏の法身の未来常住の義を証す。将(ま)た「我常住於此常在霊鷲山」の文を引用し、亦復(また)未来常住の義を証す。而るに文句の判の如きは此等経文を引用し、以て涅槃経の法身未来常住の文に類同す。▼▼▼▼▼私に云く、若し今日より還って久遠成道の時を指せば則ち是れ過去常住なり。然るに今は久遠刧より以来の義を指せば、則ち是れ未来常住と名く。而るに、日達今未来常住にして過去常住に非ずと曰う祖判を曲会して云う、方便品の文の如きは則ち其の未来章の文の中に在り、所以に一往未来常住の文と曰う。若し過去章の文の中に在っては、則ち是れ過去常住の文なりと。▼▼▼▼▼▼私に云く、文外の会通にして猶を驅烏の幼僧に劣れり。何が故に博識此の会通に窮せるや。夫れ台祖已に寿量品の両文を引き、之を以て猶を未来常住の文と判ず、況や方便品の文に於いてをや。縦い方便品の文、若し過去章の文の中に在るとも、従来是れ未来常住の文なるのみにして、豈に吾祖其の章段に拘わって之を以て未来常住と曰うの愚談、これ有らんや。▼▼▼▼▼私に云く、祖書に所謂方便品の文は過去常住に非ずとは、未来常住の語は已に無終の義を指すなり。若し寿量品の過去常住の語の如きは、則ち無始の義を指すこと、彼の無終の義に反例して之を知るべきなり。然るに、迹門の如きは、諸仏理を得竟りて報応もまた常住なり。事常住と曰うと雖も、其の事常住の功は全く理常住に在り。是の故に事理を束ねて、之を以て但だ迹門の理常住と号するなり。▼▼▼▼啓運抄所引の古抄に曰く、古人の難に云う、世間の人の如きは、則ち性は是れ常住なるべし、而して相に於いては、是れ無常なるべし等と計すと、これ如何。答えて云う、性は本来常住なり、而るに、是の理性の全体縁起す。事理不二なるを以ての故に世間相常住と説くなり。此は是れ権門の迷情に附傍して之れを説くのみ。仏若し道場に於いて知り已ぬれば、則ち、性相不二なるを以て故に終日倶に常住なり。(取意) ▼▼▼私に云く、古抄の義の如くんば、既に権門に附傍し、迷性に順ずるの説と曰う。是の故に若し迹門の教説に約すれば、則ち是れ理本事迹にして、台祖所依の像法擬宜の説化なるのみ。祖書(卅七)に云く、久遠実成は事なり、二乗作仏は理なりと。御義口伝に曰わく、迹門に理円不変真如と談ず。故に世間相常住と説くと雖も、而して此は是れ理常住にして事常住に非ずと、(乃至)、本門は事常住無作三身(取意)と。今の書に謂う所の過去常住とは豈に但だ法身常住を指すのみならんや、報応二身に於いても、また是れ無始事常住なり。然るに一致者流の曰わく、本迹二門を以て事理に分配するは此は是れ一往の判にして、本迹二門に於いて各々事理有るとは、吁吁只本迹の教相を知らざるのみに非ず、甚だしく宗祖の本意に違背す。既に実の事常住無し、豈に実の理常住有らんや。▼▼▼▼▼問うて云く、文句九に曰わく、涅槃は未来常住を以て宗と為し、過去常を以て宗と為さず、此の経は過去久成を以て宗と為す。(略文)随問九に曰わく、過去常住とは、過去の報身所証の智体実相の理境に契会して、常住不滅の故に過去常と云う(略抄)。此の疏及び隋問記の如きは、則ち報身常住とは智体実相の理に契うが故に報身常住と曰うと雖も、其の常住の義、終に理常住に帰す。是の故に本門の如きも、また是れ従因至果の未免無常の報仏なり。何ぞ、迹門所顕の実相の外に別に本門報身事常住の義有らんや。▼▼▼▼▼答えて曰う、台当両祖判教の異目多しと雖も、其の肝要は唯だ此の一箇條に在り。抑も台祖また教を以て理を推す等の判釈有りと雖も、適時の設化を以ての故に、多分は智を勧め理を崇む。事を以て理に摂す。是の故に迹理を用いて之を以て模範と為す。本門の事を以て則ち本理に摂し、将た本門の理を用いて之を以て迹門の理に摂すなり。▼▼▼又復須く知るべし、其の能詮の教を以て其の所詮の理を推す等の判釈の如きは、六祖は台祖の判教よりも募り、山家は又六祖の判教よりも募る。然る所以は他無し、像法の中末の如く、則ち是れ漸漸に末法に迫るに由るを以ての故に、三祖判教の差相有り、況や末法に於いてをや。宗祖の如きは、則ち是れ末法応時折伏弘通の導師なり。是の故に敢えて智を以て理を推し、理を以て事を推す等の判教を用いず。但、山家大師の専ら能詮の教を用い、以て所詮の理を推し、理を以て益を推す等の判教の綱格に依憑し給うものなり。又復本迹の法門に就いては、徃徃台判を引用すと雖も、其の多分は内鑑の辺を用い、及び随義転用の祖判なり。且つ夫れ吾祖、開目抄・観心本尊抄等を以て我が魂魄と為し給う。所以に此等の抄を用いて、之を以て模範と為すべし。▼▼又復須く知るべし、吾祖謂う所の寿量品の文の底とは、釈尊本因本果所顕の無始の報応事常住及び真の事の一念三千の妙旨を指す。此は是れ未だ聞法下種せざるの時の理即の全体、無始の報応事常住の古仏にして、事理倶に成仏し竟れるなり。是の故に、本因本果もまた無始の本因本果なるものなり。非長非短の深理の如きも、また之を以て此の無始の報応事常住の中に摂す。豈に偏に理を籍て、始めて無始の事常住と言うを得んや。是の故に、今判の次上(卅四)に曰わく、迹門の所談は無始の本仏を知らず、故に無始無終の義欠けて具足せず、又無始色心常住の義無し。但し迹門に是法住法位と説くことは、未来常住にして過去常住に非ず。本有の十界互具を顕さずんば、本有の菩薩界無し。已上▼▼▼▼▼▼▼▼▼私に云く、開目抄の真の一念三千の義を以て今の祖判を了知すべし。今の祖判の無始の本仏とは、実に釈尊全体乃至無始報応の事常住を指す。云々 又復迹門は本無今有の法を以ての故に無始事常住の義無し。無始事常住の義無きを以ての故に、又無終の事常住の義無きなり。▼▼▼▼卅四ウ▼一、寿量品の円仏非長非短の不二の義とは、記九曰わく、故に知りぬ、開し竟りぬれば尚非遠非近の遠本に達す。又曰わく、乃ち開顕に至りて、咸く本長短無しと知る。又曰わく、不思議一と。又曰わく、況んや開顕の実をや、況んや久遠の実をやと。又曰わく、本地円門の妙智を信ずれば、尚迹門六根の位に勝る。及び本極の法身、微妙にして甚遠、仏若し説かずば弥勒尚暗しと。此等の判釈は、則ち是れ能詮の教を用いて以て所詮の理を推す。将た所詮の理を用いて、以て其の得益を推すの判釈なり。慧心流は是れ等の文に依り、則ち本迹二門に於いて理の浅深を立つるなり。且つ此の不思議一の釈の如きは、則ち是れ時節に約して本迹不二の義を顕す。全く本門所顕の深理と迹門所説の深理とに約して、之を以て本迹不思議一と為すと謂うには非ざるものなり。また復、六重本迹の不思議一の釈の如きも、則ち今の不思議一の判に同ず。▼▼▼▼須く知るべし、迹門当分に於いては、則ち尚迹の名無し。況や本の名をや、況や不思議一をや。此は是れ、全く本迹二門同致の証拠に非ず。然して、吾祖所判の真の一念三千の法体の如きは、則ち只此の深理を用いて、以て直に法体と為すとには非ず。正しく無始報応事常住及び本有の十界互具の事常住を用いて以て正体と為し、則ち此の深理を用いて以て事常住に摂す。是れ則ち、久遠円仏の所顕の事常住の十界なり。また、此の十界の無始の事常住を以て、今の祖判に一大円仏と曰うものなり。全く台徒常途の謂う所の一大円仏の義に非ず。応に知るべし、今書所引の記の文の如きは、台祖内鑑の辺を用い、所以に但遠本不二の義と曰いて不二の理と曰わず。義の字顕す所、則ち爾るのみ。若し、是の如く之を弁明せずんば、則ち恐らくは甚だしく次上弁ずる所の祖判に違背すべし。▼▼▼▼▼一、是の故に記九の本(五十六)に云く、また記九の末(十二)に云く、啓蒙(卅四巻百紙)の義及び所引の習記等の義は大いに祖判の本意を害す。予、曰わく、是れまた内鑑の辺を用いて随義転用し以て之を引く故に、故に甚だ略文なり。今具さに文を引いて之を弁明せば、文句九(四十四)に曰わく、「昔七方便は随他意語なれば誠諦を告ぐるに非ず。今は随自意語なれば之を示すに要を以てす、故に誠諦と言う」と。記九の本(五十六)に曰わく、昔七方便より誠諦に至るは、七方便と言うは、且く昔権に寄す。若し、果門に対すれば権実倶に是れ随他意なり。円人の中に亦た無生忍の者の遠を聞き易き有るを以て、故に置いて論ぜず。故に此の自他は用に随い別なる故に、已上。謂ゆる三権の人は二虚なり、昔の円人は一実なり。此の本末の釈の如きは、則ち是れ円体同の義にして、爾前の円に於いて一実の益を許す。而も爾前の円人を以て迹門の円人の中に摂す。而して記の文意は果門を用いて、以て円人を奪う故に随他意と曰うなり。▼ ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼私に云く、吾祖常に嫌う所の円体同の辺なり。然りと雖も台祖もまた、教を以て理を推し益を推すの判有り。故に爾前円実の益を奪いて、以て別教約説の証道に摂在す。所以に、爾前の円に益無しと為し、吾祖また台判に言う所の実益を以て、則ち迹門始得無生の人を指すと為すなり。然るに此の義は台判に向かっては、則ち乖角するに似たりと雖も、余の台判に准じて以て随義転用し給う。所以に記の文を略引し、約部の辺を用いるものなり。此れは是れ内鑑の辺に非ず、又復吾祖は台判を用い給うに、一には余の台判に准じて随義転用し、二には台祖内鑑の辺を用い、三には吾祖は本門開顕の智眼を用いて、以て随義転用し給う辺なり。是の故に、開目抄を用いて、以て今の書に会合すべし。謂ゆる開目抄に曰わく、爾前の円教に於いて二つの失有り。一には、なお未だ開権せず、二には、なお未だ仏迹等、云々。今書の発問の最初に、二乗三界を出でずんば、即ち十法界の数量を失すとは、十界互具本門の極談、吾祖発語の端なり。況や、総結の文に至って曰う、是の如く法門を談ずるの時、爾前迹門は、若し本門顕れずんば六道を出でず、何ぞ九界を出でんやと。此の書の本意都て爾前当分の権実の益を許さず。何ぞ茲に至って、還って其の円実を許さんや。況や此れ従り、已下の祖判は専ら本迹相対し、破迹し開迹顕本し、以て今書の本懐たる本門観心の意を点示す。所以に台祖の内鑑に約し、将た開顕の智眼に約し、之を以て随義転用し給うものなり。▼▼▼▼▼▼廿七▼一、天台寿量品の皆実不虚を釈して曰く、円頓の衆生に約す等と。此の皆実不虚の釈に就いて啓蒙(卅四ノ百一)所引の随問記(九ノ五十七)、予曰く小子必ず見て記憶すべきか。啓蒙所引の示童記(九ノ廿一)習師直談記(往見)。また啓蒙に啓運抄の誤りを駁議す。私云う、祖書所引の如きは、甚だ是れ略文なり。今、文を引具し以て之を点示せん。▼▼▼▼(四十四)文句九に曰く、昔方便の行は未だ実道の益を得ず、是因虚なり。近迹に執して本地真実の益を得ず、即ち是果虚なり。今迹門の説を聞いて同じく実相に入るは、即ち因中の実益を得る。本門の説を聞いて、即ち執近の情を除いて、長遠果地の実益を得る。今は二実を得て昔の虚に対す。若し円頓の衆生に約すれば、迹本二門に於いて、一は虚、一は実なり。中道の行を得ば、是れ因中の実益を得るなり。而して近果に執すれば、是れ果に於いて虚なり。今因を説くを聞いて、更に別に真実の益を得ず。遠果を説くを聞けば、即ち実果の益を得る。昔一虚有り、今一実を得る。故に皆実不虚と云うなりと。記九末曰く、若し方便の教は二門倶に虚なり、因門開し竟れるも果門に望れば則ち一は実一は虚なり。本門顕れ竟りぬれば二種倶に実なり。故に知りぬ、迹の実は本に於いて猶虚なり。円頓に約するより下は、若し本円の人は二門に望れば亦只一虚なり。更に別して得ずと云うと雖も、増道の益無きに非ざるなり。已上 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼而して吾祖所引の次上の文句の如きは、已に是れ随義転用なり。故に之に准ずるに今所引の記の文も、また随義転用なり。啓蒙に云う文句の文の如きは、是れ随義転用にして、今経一座席の虚実の義に用いて之を取り、記の文を用いて以て文句の義を助顕す。また一義に曰く、文句の判の如きは、則ち爾前の虚実に約し以て之を引用し、記の釈相の如きは則ち迹門の虚実を顕す。所以に雙べて之を証すと。而るに日講私に云う、後の義を勝と為すべきか云々。予之を駁義して曰わく、後義巧みに似ると雖も全く祖意を害す。謂く、前来既に一向に爾前権実当分の益を許さず、若し今迹破の場に至りて、忽ち爾前の円益を許さば、則ち只前後の矛盾の失を招くのみに非ず、甚だ宗祖の素意に乖背するものなり。今謂わく、祖判に略して記の文を摘んで之を引いて曰わく、故に知りぬ迹の実は本に於いて猶虚なり。已上 ▼▼▼▼▼▼▼日澄決要抄に徃徃に日陣の義を挙げて之を破す。然りと雖も、日陣謂う所の迹門一実の如きは、本に望むれば猶虚なり、況や本門の実果の益に於いては、是れ虚なるの義を信用し、此は是れ迹門は因果倶に皆虚の義なりと。取意 然るに日澄目を瞋らし駁議して日陣を恥かしむ。又日講曰わく、記文の如きは則ち迹門に入りて、実は是れ真実なりと雖も、只不知久遠の一辺を取って、之を以て虚為るのみと。取意▼▼▼▼予曰く、記の二句八字の如きは、既に次上に果門に望めば則ち一実一虚と言い、之を尋ねて本門顕れ已れば則ち二種倶に実と言う。爾は則ち不知久遠の一虚の義に於いては、已に之顕れ竟んぬ、何の未だ顕れざるの義有ってか八字の念釈を設けんや。▼▼▼▼▼又日講曰わく、向きの因門開竟等の判の如きは、則ち只爾前の当位を論ずれども、其の迹門より爾前に立ち還って迹に望むれば三権は是れ虚なりと言うの義無きなり。之に例して知んべし、今の本門顕竟の判もまた唯此の本の実の顕るるのみにして、向きの一実に並べて是れを二種倶実と為し、以て昔の二虚に対するの義なり。敢えて顕本し竟て立ち還って本に望むれば則ち迹の実は猶虚なりと言うの義に非ざると云々。▼▼▼▼予曰く夫れ三権の如きは従来是れ虚なり。何ぞ迹門従り立ち還って昔の三権今の迹に望むれば虚なりと言うの念釈有らんや。所以に已に念釈せず。迹門の如きは三権に異なるなり、已に迹門に於いて一実の益を得る。而るに此の一実、実なりと雖も本に望みて猶虚なりと。此の義は已に得る所の真実の益を奪い、之を以て虚となる。故に、猶の一字の如き、汝猶の字を見ざるや。所以に日陣日澄吾書引用の意を得るに似たるか。此は是れ但久遠を以て始成を奪い、本門の非長非短の深理は則ち迹門の浅理に勝ることを顕すの義に帰するのみ。▼▼▼▼▼私案に謂う、此の二句八字の如くは、文句の文面に背くに似たり。今謂う本疏の如きは証道の辺に約して之を判ず。末疏の如きは教道の辺に約して之を判ず。此は是れ加釈にして念釈に非ざるなり。当に知るべし、台祖六祖各倶に此の両途あり。所以に本末相違するに非ずなり。今謂う、此の一条の如きは、但小子練磨の為に之を弁明するのみ。猶是れ未だ宗祖引用の素意を顕さず。次下に至り漸漸に之を顕すものなり。▼▼▼▼▼一、(卅六ヲ)向きに所引の経文の皆是真実とは破迹顕本に約して以て之を判ず。(卅七ヲ)而るに今此の下の祖判の如きは皆是真実の経文を挙げて則ち開迹顕本の義を示すなり。此れ従り以下は則ち専ら開迹顕本の経旨を示し、以て吾祖所弘の唯本不思議の本迹及び本門観心の本意を顕さんと欲す。所以に今已に破せる所、皆是真実の経文を挙げて、則ち之を以て開迹顕本の義に約し、本門開顕の智眼従り立ち還って、之を以て多宝証明隠実の仏意を顕し、二門倶に真実の証明なることを示すなり。所以に今一座内等と判ずることは、正しく時節を経ずして速やかに真実と為る故に、また迹門を信用すべきを顕す。また兼て他経の如きは開権開迹後に至りて則ち是真実と雖も此は是れ別座別会の経にして樹想還生の恐慮有るに由るを以ての故に、毫も他経を信ずを許さざることを。而るに一致流は顕本の重・本迹不二の義を謬見して、則ち宗祖内鑑開迹顕本の経功を待たずと譫語す云々。且つ夫れ本化迹化殊なると雖も其の内証の如きは、則ち毫も勝劣増減無し。然るに、付属の日に至りて、迹化等の如きは、兼ねて他経を付す。所以に金光明浄名等の他経を釈す。また他をして之を信受せしむ。然りと雖も直に薬王の内鑑を用いて、将た之を以て他を勧むる事跡無し。専ら開顕の智眼を用いて、之を以て他経を釈し、則ち還って今経の妙旨を助顕するなり。然るに日達云く、若し迹化の如きは内鑑を用いず只顕説を待つ、今本化の如きは只内鑑を用いて顕説を待たず等とは、偏強分張なるものなり。▼▼▼▼▼▼一、(卅七ウ)記九の云わく、若し方便教乃至本門顕竟則二種倶実已上考拾記七(七ノ五十ウ)、此の記の文を釈して云わく、故に迹の中に於いて縦ひ等覚に至れども、未だ果地を聞かざれば尚是れ因分なり。九道の中に在りて麁権の法を成ず。而も当分に於いては教門権なるが故に且らく四味の権乗を融会するに約して名づけて仏乗と為す。今本門に至りて実果を顕し竟れば彼の仏乗に於いては則ち菩薩と成るも、果地の妙法は一分も知らず。故に迹妙を破して因分の麁と為し、本の境智を顕して果分の妙と為す。諸菩薩等果地の重障を破し、本地の実相を顕し、此れ乃ち本門破顕の功用なり。問う秀句の下に云う等と、云々。▼▼▼▼▼▼▼また云わく、故に本門に至り実の境智を開すれば、則ち諸菩薩各自証の智断の当所に於いて、妙覚地の中に四十二品の、或いは初一品の、或いは初二品乃至十地等覚各分斉に従いて、方に始めて之を得る。故に分別功徳品に至りて、益一生に至る。此則ち果地の中の諸因の功徳を究むと雖も、未だ果地の中の果地の功徳を得ず。故に未だ妙覚の名を立つること有らず。若し其の所成の智断の功徳は、則ち果地の中の因分の四十一品の功徳に有り、各其の分に従い其の所当を得る。本門の時に至り、果地の功徳方に始めて之を得、故に第一の籖に初得の辺に約して、乃ち開迹顕本皆入初住と云う。第九の記の中には未得の前を指して、乃ち仍賢位に居すと云う。故に本地難思の境智を信解すべしの言は、良に以へ有るなり云々。▼▼▼▼▼▼▼予が曰く、此の考拾記に本門破顕の文義を示すが如きは、善尽し美尽す。然りと雖も未だ今書引用の素意を顕すに足らざるなり。此師別に一書有って之を弁明する故なり。而して日習・日講未だ嘗て宗祖の判教の綱格を信用せず。所以に大いに宗祖の本意を害す。▼▼▼今謂く、何ぞ只迹門当分の迹因を用い、之を以て直に本果の家の本因と為ること有らんや。若し其の本因の益に非ずんば、則ち本果の益を得ず。所以に本門の為に破開せられて、則ち迹因の当体全く本因と成る。此の本因及び本果を用いて、之を以て二種倶に実と判ずるの義なり。宗祖件の如く記の文を転用す。之に依りて、向きに記の文の「故知迹実於本猶虚」の八字を摘って、以て之を引用し破顕の義を示す。況や宗祖此の二句八字を挙げて、則ち之を承けて念釈して、迹門既に虚なること論に及ぶべからずと云うと。已上 ▼▼▼此は是れ迹門所説の実因を用い之を奪うの時は、則ち虚と為るの義なり。然るに日習記に云わく、若し迹門の実因無くんば何ぞ本門に至りて果益を得んやとは。吁吁汝、本門に至りと雖も迹因を破開せずして、直ちに果益を得ると謂うや。▼▼▼予が曰く、此の一条の如き先ず且らく但だ通途の随義転用の辺に約して、之を以て宗祖所引の台判を弁明するなり。若し吾祖開顕の智眼及び台祖内鑑の辺の随義転用に約すれば、則ち是れ此の書の本意たる本門観心の義を顕すに足るものなり。何故ぞ日習見ざるや、祖判已に謂う所の本具の十界顕さずんば、本有の菩薩界無きなり。已上▼▼一、(卅七ウ)若し本門顕已等とは、此れ自り以下は正しく本迹不二の義を顕すなり。謂く、若し本門顕れぬれば、迹門の迹因迹果は則ち本門の本因本果と顕わるるなり。本門の為に破開せられずして、直ちに本因本果と成ると謂うには非ず。而して、今書に迹門の仏因及び次下の迹門の円因と呼ぶことは、且く所開の名を挙ぐ。則ち是れ本門所顕体内の迹にして体外の迹に非ず。云々▼▼一、(卅七ウ)天月水月本有の法と成りて、本迹倶に三世常住と顕るなりとは、若し但台祖適時の判意に約せば、則ち理本事迹の重なるを以て故に、其の義終(つい)に非長非短の深理の辺を顕すのみ。今祖判の意は無始報応事常住の義を用いて、之を以て都て十界因果の総体に冠し、将た彼の深理は則ち此の事常住の中に摂す。▼▼▼▼一、(卅七ウ)一切衆生の始覚を名づけて迹門の円因と言い、一切衆生の本覚を本門の円果と言うは、日健記に曰わく、一切衆生の始覚と言うは、其の菩薩界常修常証する、此は是れ迹門の円因なり。一切衆生の本覚と言うは、報仏如来常満常顕する、此は是れ本門の円果なり。而して、我等が如きは則ち件の功徳を具足す。取意▼▼▼此の健記の如きは、常修常証常満常顕の名を挙ぐると雖も、未だ嘗て報応事常住等の義を述せず。予が曰く、其の常修常証とは無始の本因なり。向きの祖判に謂う所の本具十界互具を顕さざれば、本有の菩薩界無きなりと。何ぞ汝迹名を呼ぶに迷いて、則ち直ちに迹門所説の円因と為るや。また今判の謂う所の一切衆生の本覚を本門の円果と言うとは、謂く釈尊既に無始の古仏と一体たる先仏所顕の報応事常住の始本不二及び因果不二の本果妙を用いて、之を以て下種と為すなり。此は是れ先仏の本果従り、釈迦の下種に向かう。而る後に、今仏は本因妙従り本果妙に至る。また我等衆生の如きは、今仏所顕の乃至本果妙を用いて、之を以て下種と為す。此は是れ従果向因なり。而る後、我等本因の位従り終に本果に至る。此は是れ従因至果なり。また遠く其の前を推すに、則ち此れ無窮にして無始なり。今従り遠く其の後を推すに、則ち是れ無窮にして無終なり。斯くの如く従果向因・従因至果全く前後無し。宛かも車の両輪の暫くも離るること無きが如きものなり。今の判に一切衆生の本覚を本門の円果と言うは、此の無始事常住因果不二の果及び常満常顕を指して、之を以て衆生所具の本門円果を判ずるものなり。次上の判の如きは、一切衆生の始覚を迹門円因と言うとは、本迹不二の迹及び常修常証無始の事常住にして、迹門当分の所説に於いて、則ち是れ亀毛兎角の法門なり。▼▼一、修一円因感一円果とは、釈籖七に云く、若し是本因は多種なる応からず、只一円の因を修し一円の果を感ず応し。また記の一に云く、本地の自行唯円と合す、化他は不定亦八教有り。予が曰く、籖文に謂う所の一円とは、是れ只多種に対するの語にして、則ち八教の中の一円を指す。此の一円に於いて則ち昔迹本重重の浅深有り云々。然るに一致流は、此の一円の釈を謬見し、之を以て直ちに本迹二門同致の依拠と謂うは、吁吁至って愚なるかな。今謂く、宗祖但本門開顕の智眼及び台祖内鑑の辺を用いて、之を以て修一円因感一円果の釈を引用し、則ち無始本因本果実修実証本地難思の境智を顕したまう。また次上一切衆生等の祖判の如きは、則ち只九界の所具の辺に約して、以て之を判じたまうなり。今判の意は、其の所具の因果の功徳の如きは、必ず修事の功力に因って、以て此の顕の義を示したまう。小子知るべし、我等若し修顕得体の日に至っては、則ち是れ無始の始覚にして、無始の本果を顕すに由るを以ての故に、また無始の本覚と名づく。また、我等無始の常修常証及び無始の常満常顕を顕すものなり。また、知るべし、件の義趣を用いて、之を以て則ち次上の天月水月本有の法の祖判を拝見すべし云々。▼▼▼▼▼一、今書最結句の祖判は、謂く先の此の大段の第四重の難問の下は、吾祖専ら本門観心の意を用いて、以て迹門を破開し、則ち本門所顕の唯本不思議の本迹を点示す。而るに、日講但皆是真実の判(卅七ウ)従り、修一円等の判(卅八ヲ)に訖(おわ)る之十二行を以て、日講之を科して本迹一致を明かすと云い、逐一に曲解す。予また逐一に駁議し竟りぬ。予今最結句の祖判を挙げて、之を以て老狐の日講をして其の尾を出しめん。謂く、吾祖上来の諸判を総結して曰く、是の如く法門を談ずるの時、迹門爾前は若し本門顕れずんば六道を出ず、何ぞ九界を出んやと。何故ぞ如是の二字を見ざるか。汝が科する所の十二行の祖判の如くは、則ち如是の二字の中に摂在す。また遺言の最結句もまた全く今の結句の判に同じ。云々▼▼▼▼▼▼▼一、扶老十三云く、始覚本覚の語は本金剛三昧経・起信論等に出たり。謂く、修成を以て始覚と為し、本有の理を以て本覚と曰うなり。而して、台家古来より専ら始覚本覚を用いて、本迹の二門に分対せり。而るに、今の書もまた之に因りて本迹二門を分判するものか。是の故に総勘文抄の如きは、通途所謂理性を以て、之を以て則ち本覚と為すと。已上 ▼▼▼予曰く、彼の書の如きは、則ち汝が謂う所の理性本覚の文為るべし。所以に彼の書専ら慧心流兜卒の覚超所述の自行略記に附順して、以て止観の意を示す。汝もまた往々彼の記を引き、以て総勘文抄に会合するなり。彼の記の最末に曰く、略記の所詮は、是の如き此の略記を点示することは、止観一部の総勘文なり。既に止観の意に附順す、則ち是れ爾前迹門理本事迹の分際なるのみ。何故ぞ、汝両書の祖判を混合し菽麦を弁えざるや。抑(そもそも)此の十法界抄の如きは、宗祖本門観心の旨を述べ、所以に報応各三無始事常住の本覚なり。何故に汝、爾前迹門の不堅固の法門身を用いて、之を以て本門堅固舎利の経に会合するや。▼▼▼明和六己丑 二月▼ ▼ 掌阿闍梨 七十八歳 日 受▼ |
▼▼▼▼一、この書は、四問三答により構成されており、宗祖より問いが発される形式で、第四の難問に至って、正しく本門の観心の意(こころ)が顕わされている。これが此の書の本意である。▼▼一、題号の十法界とは、本門における最も深遠なる内容である。したがって、まず真の十法界互具より論を始めよう。この十法界とは、開目抄に「爾前迹門の十界の因果を打ち破ぶりて、本門十界の因果を説き顕わす。」と述べられている所のものである。この文の直ぐ前に、所謂る「爾前迹門の四教の因果を打ち破る」とあるが、これは先ず釈尊一仏に始成正覚と久遠実成の二重の地位があることに基づいて、文の表は迹門を破斥しながら、同時に開迹顕本するものである。したがって、直ぐ後の文に所謂「本因本果の法門なり」とあるのは、これはただ釈尊の因果を指すのではなく、無始の衆生界と仏界の事理の当体が、全く釈尊因果の事理と関わる、即ち事理一体であることを説いている。それ故に、前に述べた十界の総体の因果を指して、十界の因果を説き顕すと言うのである。これは、釈尊の本因本果を用いて、十界の上に冠せてこれを判断するので、本因本果の法門というのである。汝達よ、宗祖の御遺文において語勢を強めた所は丁寧に拝見せねばならぬ。また一念三千は、十界互具の原理に従って展開される事象であるが、「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。」とあるように、真の一念三千という宗祖の魂魄たる考えは、開目抄に明らかに顕されている通りである。したがって、この御書の「十法界抄」という題号もまた、その意を顕したものである。▼▼一、この御書における文字仮名及び点については、日講の「録内啓蒙」における指南を基準とする。▼▼一、宗祖は第二の難問において次のように言う。寿量品では釈尊の久遠実成を知らぬ爾前・迹門並びに五時説法における円教修行の人々を「皆天人阿修羅」と言っている。この意味は、これらの人々が、未だ見思の惑を断じていないということではないかと。▼▼一、宗祖は第三の難問において次のように言う。法華経の本門並びに観心の智慧を起こさなければ、十界円融の仏と成ることが出来ない。また、迹門の立場においては爾前三乗当分の得道を一往は許されてはいるが、それは本門観心の時には、真実義とはならない。もし三乗当分の得道に真実義があると論ずるならば、如来の久遠実成の本地に迷って六道の流転から出離することは出来ないと。▼▼宗祖第四の難問における、釈尊の教を爾前・迹門・本門・観心の四つに分けて勝興劣廃する四重興廃については、私の「本迹自鏡編」第三十条第四十条に説いた通りである。▼▼(日達師「台家本勝扁」中の本門過去常の所を参照されたし)▼▼一、方便品・偈文の未来仏章において説かれた「世間相常住」の解釈について、天台大師の法華文句では「是法住法位の一行は、法華経の理一を述べたものである」と言われている。▼▼私が思うに、是法とは衆生と仏が現実に住することが出来る法であり、それがそのまま法位に住するというのは、絶対的な真理においては、衆生と仏が共に住しているということである。天台大師は法華玄義一(序論)で、「此の妙法蓮華経は、本地甚深の奥蔵なり」の文において、「是の法示す可からず」「世間の相常住なり」と言われている。▼▼私が思うに、重要であることは、この本質である理体においては、三世九世(種熟脱の三益時×三世)の際限は無いということである。したがって、天台大師は「法華文句」第九巻(釈寿量品)に、この「世間相常住」の経文を引き、「道場に於て知しめし已て、導師は方便して説きたまわんとの此の文、即ち未来常住不滅なり」と、仏の未来常住を証すものだと述べている。このように、未来の仏はこの真理を証得し、証得し終わった後に、法身は未来常住であるとの義を用いて、真実の仏である法身の未来常住を証すのである。また、「我れ常に此に住す」「常に霊鷲山及び余の諸の住処に在り」の文を引用して、更に法身の未来常住の義を証している。したがって、法華文句の解釈は、これ等の経文を引用して、涅槃経の法身未来常住との経文に類同させるものである。▼ ▼私が思うに、若し今日より過去を見渡して、仏の久遠成道の時を示すならば、それは過去常住というべきものである。しかし、今は久遠刧の過去より以来の義を指し示しているのであるから、これ則ち未来常住であると名付けるのである。ところが日達は、この「十法界抄」の「是法住法位と説くことは、未来常住にして是れ過去常に非ず」との文を曲解して、宗祖は「仏は未来常住であるが、過去常住ではない」と述べていると言う。「世間相常住」の言葉が方便品の未来仏章の中にあるから、宗祖は一往未来常住を証する経文だと言われたのであって、もしその「世間相常住」の言葉が過去仏章の中にあれば、そこで初めて過去常住を証する経文となると言うのである。▼▼私に言わせれば、これは宗祖の文意を全く離れた解釈であって、幼僧の駆烏(くう)沙弥にも劣るものである。何故に博識であるはずの日達が、この解釈に窮しているのであろうか。天台大師は、既に寿量品の両文を引用して、仏の未来常住を証する経文と加えて判じているのであるから、方便品の経文が未来常住を証することについては言うまでもない。例え方便品の「世間の相、常住なり」との文が、過去仏章の中にあったとしても、従来これは未来常住を証するためのみの文であるから、どうして日達のように、宗祖はこの文章に拘って、仏の未来常住のみを主張されている等との愚かな話が有るのであろうか。▼▼私が思うに、宗祖が十界法抄に所謂「方便品の文は過去常住に非ず」と言われているのは、未来常住という語そのものが「無終」の義を指し示しているからである。そして、寿量品の過去常住の語が「無始」の義を指すことは、彼の無終の義と対比させれば当然知るべきことである。さて、このように迹門では、諸仏は真理を得た上で、その報身・応身もまた常住なりとしている。報身・応身も事常住であると説いてはいるけれども、その事常住の効用は、あくまでも理常住に基づいたものである。それ故に、この事理を束ねるならば、迹門はただ理常住を説くと言うべきものである。▼▼一致派・日澄の「法華啓運抄」に引用の古抄には、過去の聖賢を難じて次のように言う。世間の学者は、性というものは常住であるが、相というものは無常である等と考えているが如何がか。答えて云く、性というものは本来より常住であり、この理性の全体が縁起して事相として現れるのである。この事相と理性は本来不二なるものであるから、世間相は常住と説くのである。先の「性は常住、相は無常」とは、権経の教えに迷う人々の心に従って説かれただけである。もし仏が道場において覚り終えれば、性と相は不二であるが故に、終日共に常住であると。(取意)▼▼私が思うに、古抄の意味するところは、「事相は無常である」とは全く権経の教えに従ったものであって、迷情な者に応じた説と言うことである。したがって、もし迹門の教説に言及するならば、これは理本事迹であって、天台大師が拠り所とした像法時代に相応して説く教化でしかない。宗祖は「真言見聞」に、久遠実成は事なり、二乗作仏は理なりと言われている。また、御義口伝には次のように言われている。迹門には理円不変真如と談じている。したがって、世間相常住を説いてはいるが、これは理常住を説いたもののであって事常住を説くものではなく、これに対して本門は無作三身の事常住を顕していると。(取意)したがって、この「十界抄書」に言う所の「過去常住」は、ただ法身の常住を指すのみではない。報身・応身の二身についても、また無始の事常住を説いているものである。ところが一致派は、本門と迹門を事と理に分配するのは一往の判であって、本迹の二門にそれぞれ事理があると言うのだから、彼等はただ本迹の教相を知らないのみばかりではなく、甚だもって宗祖の本意に違背するものである。既に実の事常住が無いというのだから、どうして実の理常住だけは有ると言うのであろうか。▼▼では、問おう。「法華文句」第九巻に、天台大師は言われている。涅槃経は未来常住をもって要旨とし、過去常住を要旨とはしないが、この法華経は過去久遠実成を以て要旨とするものであると。また、日遠の「法華文句随問記」第九巻には、過去常住とは、過去の報身が所証したる智慧そのものが、実相の真理と符合して常住不滅となるが故に過去常住であると言う。妙楽大師の「法華文句記」及びこの「法華文句随問記」は、則ち報身常住とは、所証の智慧そのものが実相の真理と一体となることにより、報身の常住を述べているものであるが、この報身常住の義は、結局は理の常住に帰するものである。それ故に、本門に説かれているのも、これは従因至果の未だ無常を免れぬ報身仏のことである。どうして迹門に顕された所の実相の外に、別に本門において報身事常住の義が説かれていると言うのか。▼▼お答えしよう。天台大師と宗祖の教相判釈には多々相違があるが、その肝要は唯この一カ所にある。そもそも天台大師には、教を以てその理を推察する等の判釈が有るが、時代相応の教化の方法を設けているがために、多くの場合は智慧を得ることを勧めて、そして真如である理を崇めているのである。事を理に包摂せしめているのである。これ故に、迹門の理を用いて、これを模範とする。本門の事を本門の理に包摂し、また本門の理を用いて、これを迹門の理に包摂するのである。▼▼また、須く知るべきである。この能詮の教をもって所詮の理を推しはかる等の判釈は、天台大師よりも六祖・妙楽大師の方が傾向が強く、伝教大師は更に妙楽大師よりも強くなっている。この理由は他ならぬ、これは像法時代の中末は次第に末法に迫っているので、三祖の教相判釈に差が生じるからである。況や、末法においては尚更のことである。だからこそ、宗祖は、末法時代相応の折伏弘通の導師となるのである。それ故に、智慧をもって真如の理を推察し、理を以て事を推察する等という教相判釈は、宗祖は敢えて用いない。ただ伝教大師が能詮の教を専らに用いて所詮の真如の理を推察し、その理を以て御利益を推察する等の教相判釈の綱格を拠り所とするのである。また本迹の法門について、宗祖は度々に天台大師の解釈を引用しているが、それらの御書の多くの文章は、天台大師が内鑑した所を用いて、宗祖が随義転用されたものである。加えて、しかも宗祖は、開目抄・観心本尊抄等をもって我が魂魄とされている。そうであるならば、此等の両抄を用いて、門下の模範とするべきである。▼また、須く知るべきである。我等宗祖が言う所の寿量品の文の底とは、釈尊の本因本果が顕わす所の、無始の報身・応身の事常住および真の事の一念三千の妙旨を指すことを。これは、未だ仏法を聴聞して下種されていない理即の凡夫が心に具している仏性・真如の理の全体であり、無始の報身・応身、事常住の久遠仏であって、事理共に成仏し極まっているものである。したがって、釈尊の本因本果もまた無始の本因本果なのである。本仏の寿命が非長非短であるという深理もまた、この無始の報応身の事常住の中に包摂しているのである。そうであるのに、何故頑なに、真如実相の理に言寄せて、始めて無始の常住などと言うのであろうか。だからこそ、宗祖はこの御書の「爾前迹門の断無明の菩薩、寿量品の久遠円仏の非長非短不二の義に迷うが故」と述べている直ぐ前に、「迹門の談ずる所は、無始久遠の本仏を知らないのだから、仏界の無始無終の義は欠けて具足することはない。また、無始の色心常住の義、身心共に無始より常住不滅であるとの義も迹門には無い。迹門に是法住法位(すべての事物は真如の現れであって、世間の相も常住である)と説いているのは、これは未来常住のことであって、過去常住のことではない。故に本門において本有の十界互具が顕わされなければ、本有の菩薩界も無い」と言われているのである。▼▼私が思うに、汝は「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて」と説かれた開目抄の真の一念三千の義を以て、この宗祖御遺文に述べられた考えをよく知るべきである。ここに説かれた無始の本仏とは、まさに釈尊の全体であり、無始の報身・応身の事常住を指すものであると言うことを。また迹門は、始成正覚の仏、本無今有の仏が説く法であるから、そこには無始事常住の義は無い。無始事常住の義が無いのであるから、無終の事常住の義も無いのである。 ▼▼一、この「十法界抄」に述べている「寿量品の久遠円仏の非長非短不二の義」とは、妙楽大師が「法華文句記」第九巻に、「故に知ることが出来る。開会し尽くすならば、非遠非近の釈尊の久遠本地に達する」と言われていることである。また、「すなわち開顕に至って、本来は長短も遠近も無いのだと知る」「故に不思議一と名付ける」「況や開顕の真実をや、況や久遠の真実をや」「本地釈尊が円満なる法門に説かれた妙智を信じれば、それだけで迹門に説かれた六根清浄の位に勝る」「本極の法身は微妙であり甚だ深遠である。もし仏が、この事を説かずにいたならば、なお弥勒は真理に暗かったであろう」と言われている。これ等の判釈は、能詮である教えを用いて、所詮の理を推察するものである。また所詮の理を用いて、その徳益を推察する判釈である。慧心流は、これ等の文に依拠して、本迹の二門において、理の浅深を立てているのである。加えて「不思議一」と解釈しているのは、像法という時節に基づいて本迹不二の義を顕したものである。本門に顕された所の深理と迹門に説かれた深理に言及して、本迹不思議一と言うものでは全くない。また六重本迹における不思議一に関する解釈も、この「不思議一」の解釈と同様である。▼▼汝は、須く知るべきである。迹門が説かれている段階においては、「垂迹」という名は無い。況や「本地」の名や「不思議一」にあっては言うまでもないことである。この「不思議一」とは、全く本迹二門が示すものが同じであるとの証拠ではない。したがって、宗祖が判じられた所の一念三千の法体は、ただこの「不思議一」であると言う深理を用いて直ちに法体としているのではない。正しく無始の報身・応身の事常住及び本有の十界互具の事常住を用いて正体と為し、この深理を用いて事常住を摂するのである。則ちこれは、久遠の円仏が顕したる所の事常住の十界である。また、この十界無始の事常住をもって、宗祖は一大円仏とこの御書に述べられているのである。天台宗や一般の僧侶が言う所の一大円仏の義とは、全く異なるものである。汝よ、当に知るべきである。この御書に引用した所の「法華文句記」の文は、天台大師が内鑑した所を用いて、久遠本地における不二の義を述べたものであって、不二の理などとは述べていない。義の字が顕す所に、そうであると沿うべきのみである。もし、このように弁明しなければ、恐らくは「迹門の所談は無始の本仏を知らず」と述べられた宗祖の判釈に甚だ違背するものとなろう。▼▼一、したがって、妙楽大師の「法華文句記」第九巻の本(五十六)に云く、同九巻の末(十二)に云くと、日講の「録内啓蒙」(三十四巻百紙)に説かれた義、及び引用された日習の「直談記」等の義は、大いに宗祖の本意を害するものである。私に言わせれば、これ等の妙楽大師が引用せし文は、これまた、内鑑した所を用いて随義転用しているものであるから、非常に略された文なのである。今具さにこの文を引用して弁明するならば、天台大師の「法華文句」第九巻(四十四)には、次のように言われている。「爾前の七方便位の者(人・天・声聞・縁覚及び蔵通別の菩薩)に説かれたものは、相手の意に適うように説かれた随他意語であるから、誠諦(真実)を告げたものではない。しかしながら、法華経は自らの悟りを有りの儘に説く随自意語であるから、これを示すのに要点を以て示している。故に、寿量品の冒頭に、如来の誠諦(真実)の語と言う。」と。そして、妙楽大師は「法華文句記」第九巻の本(五十六)に言われている。「この(昔七方便より誠諦に至るまで)の文において、七方便位にある者の果が権であると言うのは、且らく爾前の権教に偏する者達に述べたものである。もし、寿量品の果の法門に対すれば、権教も実教である迹門も共に随他意である。円教修行者の中には、無生法忍を得て、仏の久遠実成を聞き易い者があるが、ここでは論じられていない。故に、この随自意・随他意というものは、その用に随って使い分けられているものである」と。所謂、蔵・通・別の権教の修行者は、因果の二門が倶に虚であり、爾前円教の修行者は、因門においては実であると言う。この本末の解釈は、詰まるところ「円教の体は同じ」とする義であって、爾前の円教にも、因門に実の益を許すものである。しかも、爾前の円教修行者を、迹門の円教修行者の中に包摂するのである。そして「法華文句記」の文の意図する所は、寿量品の果の法門を用いて、円教の修行者を厳しく判ずるが故に、迹門は随他意であると言っているのである。▼▼私が思うに、これは宗祖が常に嫌っている所の円体同のことである。しかしながら、天台大師もまた、教相もって理法を推察し益を推察するとの判釈がある。故に、爾前円教の実の益を奪って、別教に約して説いた証道、即ち悟りの内容に包摂させているのである。それ故に、爾前の円教に益は無いとして、日蓮聖人もまた天台大師の判釈に言う所の実の益を以て、迹門は始めて不生不滅の理を得た人を対象とするのである。この義は、天台大師の判釈には背いているように見えるが、他師の台判に準じて随義転用されている。それ故に、「法華文句記」の文を引用し、約部の論を用いて、爾前の円と法華の円には異なりがあるとしている。これは内鑑した所によるものではない。また宗祖は、台判を用いる時には、一には他師の台判に準じて随義転用し、二には天台大師の内鑑した所を用い、三には地涌菩薩である宗祖は、本門開顕の智眼を用いて随義転用されたのである。それ故に、開目抄を参照して、この「十法界抄」の内容を考えるべきである。所謂開目抄には次のように述べられている。「爾前の円教には二つの失がある。一には、なお未だ権教を開せず、二には、未だ迹仏であること等」云々と。この「十法界抄」の発問の最初に「二乗三界を出でずんば、即ち十法界の数量を失う」とあるのは、宗祖がこれから十界互具本門の極談を語ろうとする発端である。況や、総結の文に至っては、「このように法門を談じたとしても、爾前教・迹門は、本門の十界互具の義が顕れなければ六道を出離することが出来ない、まして九界を出離することは不可能である」と言われているのである。この御書の本意は、爾前の権教と実教に当分の益は許さないということである。そうであるのに、何故にそれを翻して、円教の実益を許さないということがあろうか。しかもこれ以下の宗祖の判釈は、専ら本門と迹門を相対し、迹門を破斥して開迹顕本し、これをもって十法界抄の本懐である本門観心の意を明確に示すものである。したがって、天台大師の内鑑に基づき、また地涌菩薩としての開顕の智眼に基づいて、随義転用しているのである。▼▼▼天台大師は、寿量品の「皆実不虚」について、「円頓の衆生に約す」等と解釈している。この「皆実不虚」の解釈については、日講の「録内啓蒙」に引用した日遠の「法華文句随問記」を、汝達は必ず見て記憶すべきものである。そして日講の「録内啓蒙」に引用せし所の日耀の「文句示童記」、日習の講義を記した「習師直談記」も参照すべきである。また、「啓蒙」には日澄の「法華啓運抄」の誤りが批判されている。私が思うに、宗祖の御遺文に引用されたものは甚だ略文であるから、今これらの文を具に引いて、明らかにしようと思う。▼▼天台大師は「法華文句」第九巻に次のように言われている。「爾前方便の修行は未だ真実の仏道の益を得ていないものであり、その因は虚である。迹仏の近成に執着して、本地・久遠実成の真実の益を得ることが出来ないのであるから、即ちその果は虚である。今迹門の説を聞いて同じく実相に入るというのは、これは即ち因中の実益を得るということである。そして、本門の説を聞いて近成に執着する心を除き、仏の寿命長遠と本果・本地の実益を得るのである。そして今、二つの実を得て、爾前の虚に対するのである。もし円頓の修行をする衆生について言及するならば、仏の近成に執する迹門は虚であり、久遠実成を顕かに知る本門は実である。中道の修行を得るならば、因中の実を得ることが出来るが、近成の果に執着するならば、果においては虚となる。今は、因を説くのを聞いて更に別の真実の益を得ることはない。これに対して、久遠実成の果を説くのを聞けば、即ち実果の益を得るのである。爾前・迹門は実果を得ていないが故に一虚有るが、今その一実を得ることが出来るのである。したがって、皆実不虚というなり」と。また妙楽大師の「法華文句記」第九巻末には、次のように言われている。「方便の教えは、因の法門も果の法門も共に虚である。もし因門を開顕したとしても、果の法門に対すれば、則ち一は実であり、一は虚である。本門を顕し終わったならば、迹門も本門も実である。故に知るべきである。迹門の実益は本門においては猶虚であることを。円頓の衆生に約す等より以下に述べたことは、もし本門円教の修行者が、本釈の二門に望むれば、また只一虚なりと言うことである。天台大師は、更に別して真実の益を得ることはないと言われているが、仏道の益が増さないということではない。」と。▼▼このように宗祖が引用した上記「法華文句」の文は、すでに随義転用されたものである。故に、これに準えて考えるならば、今引用の「法華文句記」の文も、また随義転用されたものである。日講の「録内啓蒙」には、次のように述べられている。「法華文句」の文は、随義転用されたものであって、法華経の同一会座における虚実の義にこれを用い、「法華文句記」の文を用いて、「法華文句」の義を顕すことを助けている。また、一義に述べていることは、「法華文句」の判釈は、爾前教との虚実に言及して引用したものであり、「法華文句記」の判釈する所は迹門との虚実を顕すことである。したがって、宗祖はこの二つを並べて証しているのだと。そうであるのに日講は、私に「(本迹両門倶に真実と言うなり)との後の意義を勝と為すべきだ」云々と言うのである。私はこれに対して、「後の意義は巧みに宗祖の文章に似ているが、全く宗祖の意を害するものである。」と反論している。これまで述べられてきたように、既に爾前の権教・実教には当分の益も許していない。もし今、迹門を破斥する場に至って、忽ちに爾前円教の益を許すならば、前後に矛盾する過ちを招くばかりではなく、著しく宗祖の本来の意に背き反するものとなる。今一度言うが、宗祖は「十法界抄」に「法華文句記」の文を略して掻い摘み引用し、「故に知るべし、迹門の実益は本門の義に対すれば猶虚である。」と述べているのである。▼▼一致派の日澄は「本迹決要抄」に、勝劣派・日陣の教義を度々挙げて、これを破斥している。しかしながら、日陣が言う所の「迹門も因門においては実である」というのは、本門に望んだ場合には、なお虚であるということである。いわんや、本門の真実の果の益においては、虚なるのは言うまでもないとの義を信用するならば、迹門は因果共に皆虚であるとの義であろう。これに対して日澄は眼を怒らせて反論し、日陣を辱めているのである。また、日講は次のようにも述べている。「法華文句記」の文は、迹門に入れば実は真実であるけれども、ただ「久遠を知らず」の一辺に限って、迹門は虚説であると言っているのみであると。▼▼私が思うに、「法華文句記」における「故知迹実於本猶虚」(故に知んぬ、迹の実は本に於いて猶虚なり)との二句八字の如きは、既に上記に「果の法門に対すれば、一は真実であり、一は虚説である 」と言ったものであり、これに基づいて本門が顕れ終わるならば、則ち本迹の二門が共に真実となると言うものである。そうであるならば、「久遠を知らず」の一虚の義は、既にこれを顕し終わっているのであって、何の未だ顕れざる意味があるとして、八字に浅はかな解釈を設けるのであろうか。▼▼また、日講は次のように述べている。先の「法華文句記」の「因門を開し竟われるも」等の判釈は、ただ爾前教の当位について論じたものであるが、迹門より爾前教に立ち返って、迹門に望むれば蔵・通・別の三権は虚説であるとの義では無い。この例えを知るべきである。この「本門顕れ竟ぬれば」の判釈もまた、この本門の真実の顕れることのみによって、先の一実に並べて本迹の二種を共に真実と為すのである。これによって、爾前教の二虚に対している義である。敢えて顕本し終わり立ち返って、本門に望むれば迹門は実は猶虚説であると言う意味ではないと云々。▼▼▼私に言わせれば、蔵・通・別の三権は従来より虚説である。何故に、迹門より立ち返って、法華経の迹門に望むれば、爾前の三権教は虚説などという浅はかな解釈が有るというのであろうか。そんな浅はかな解釈は有るはずもない。迹門というのは三権教とは異なるものであり、迹門において既に一実の益を得ているのである。しかしながら、この一実、真実なりと雖も本門に望むる時には猶虚説というのである。この義は、迹門に於いて既に得ている所の真実の益を奪斥して、虚説とするものである。だからこそ、猶という一字、汝はこの猶の字を見ないのかと言っているのである。このような訳で、日陣の方が、日澄が自著に引用した文の意を得ているようである。これは、ただ久遠実成を以て始成正覚を奪斥し、本仏の寿命が非長非短であるという深理は、迹門の浅理に勝ることを顕す義に帰するのみである。▼▼私が思案するに、この「法華文句記」の二句八字は、「法華文句」の文面に背いているようにも考えられる。思うに、本の注釈というものは、悟った内容に基づいて判ずるものであるが、末の注釈というのは、教相の法門に基づいて、これを判ずるものである。これは加えられた解釈であって、浅はかな解釈というものではない。当に知るべきである。天台大師・妙楽大師各々共に、その判釈には証道によるものと教道によるものとの両方があるということを。言うなれば、この一件は、ただ汝達を錬磨するために弁明しているのみである。未だ猶、此処には、宗祖が引用された本来の意を顕していない。これ以降に次第にこれを顕すものである。▼▼一、先に引用した経文の「皆是真実」とは、迹門を破斥して本門を顕すことに基づいて、これを判じたものである。今これ以降の宗祖の判釈は、「皆是真実」の経文を挙げて開迹顕本の義を示すものである。したがって、これにより以下は、専ら開迹顕本の経旨を示し、これをもって、宗祖が弘める所の、法華経を本門の立場から考える不思議一の本迹及び本門観心の本意を顕したいと思う。そのために、今既に破せる所は、「皆是真実」の経文を挙げて開迹顕本の義に基づき、地涌菩薩の本門開顕の智眼より立ち返って、多宝仏が証明する隠されてきた真実の仏意を顕し、本迹二門が共に真実であるとの証明を示すのである。今ここに、宗祖が「一座の内に於いて虚実を論ず」等と判じているのは、正しく時間を経ずして速やかに真実となることから、迹門の信用すべきことを顕しているのである。また、他の経典については、開権開迹の後に至って「是れ真実」と言われていると雖も、これは別の会座・別の説会における経であって、極楽浄土の宝樹を瞑想するようなことが生起する恐れもあるから、他経を信じることは少しも許されてはいない。そうであるのに一致派は、開迹顕本の重要性ならびに本迹不二の義を誤って解釈し、宗祖の内鑑・開迹顕本の経功を考慮する必要はないなどと戯言を述べている。しかも、本化と迹化の菩薩は異なると雖も、その内証には少しも勝劣や増減が無いと言うのである。しかしながら、法華経付嘱の日に至って、釈尊は迹化の菩薩には兼ねて他経を付嘱している。それ故に、天台大師は金光明経・淨名経等の他経をも講釈し、また他の者にこれを信受せしめているのである。しかしながら、天台大師には直ちに薬王菩薩としての内鑑を用いて、他に信仰を勧めたような事跡はない。専ら地涌菩薩として、本門開顕の智眼を用いて他経を解釈し、かえって法華経の妙旨を顕すことを助けているのである。そうであるのに日達は、「迹化の菩薩は観心を用いずに、ただ顕了に説かれた説を望むが、今本化の菩薩はただ観心を用いて顕説を望まないものだ」等と、随分と偏執したことを強く言い張っている。▼▼妙楽大師は、「法華文句記」第九巻に「若し方便の教は(乃至)本門顕れ竟ぬれば二種倶に実なり」と言われている。この「法華文句記」の文を解釈して、先師日乗は「玄義考拾記」七に次のように述べている。故に迹門の中に於いて、例え等覚の菩薩に至れども、未だ仏の果位を聞かないのであれば、これは因位の分際である。迷いの尽きない三界の、有情が住する九地の中にあって、粗雑な権教の法を成就する者である。しかも、与えられた教門が権であるが故に、しばらくは華厳・阿含・方等・般若の四味の権乗を融和し一纏めにすることによって、これを名付けて仏乗と為している。今本門に至って、実の果を顕し終わったならば、彼の仏乗においては皆菩薩なれども、仏の境地、仏果果上の妙法は一分も知ることはない。それ故に、迹門の妙法を破斥して、因位の分際の粗雑なものとし、本門の真理と智慧を顕して、果分の妙法とするのである。諸々の菩薩達は、仏の境地に至る重い障りを破して、本地・久遠釈尊の観る実相を顕すことが出来るのである。これが取りも直さず、本門が迹門を破斥して真実を顕す功用である。問う、伝教大師の「法華秀句」の下に言う等云々と。▼▼また、次のようにも述べている。それ故に、本門に至って実の境智を開示すれば、諸菩薩が各々自証の無明を断じた当所、即ち妙覚の境地に至るために断ずべき四十二品の無明の、初めの一品を断じた者、或いは初めの二品を断じた者、乃至十地・等覚の位にある者が、各々の分際に応じて、まさに始めてこれを得るということになる。それ故に分別功徳品に至って、その利益は一生に至ると説かれているのである。これは則ち、菩薩達は果地の中の諸々の因の功徳を究めていると雖も、果地の中の果地は未だ得ていないということである。したがって、未だ妙覚の名を立てることがないのである。菩薩達が無明を断じた功徳を得るとすれば、それは果地の中の因分の、即ち四十一品の功徳であって、各々がその分に応じてその利益を得るのである。そして、本門の時に至って、まさに始めて果地の功徳を得る。それ故に、妙楽大師は「法華玄義釈籤」第一巻に、初得の所に言及して「開迹顕本せば、皆初住に入る」と言うのである。妙楽大師の「法華文句記」第九巻の中には、未得の前を指して、迹化の菩薩は未だ「無明を断じていない位に居る者」と言う。それ故に、「思慮分別の及ばない久遠釈尊の境智を信解すべし」の言は、まことに意味の深いものである云々と。▼▼私は、この日乗の「玄義考拾記」に示す「本門は迹門を破して真実を顕す」との文義は、欠点もなく完璧であると述べた。しかしながら、未だこの「十法界抄」に引用された本来の意味を顕すには足りていない。それ故に、乗師は別の一書を以て、これに説明を加えているのである。しかしながら、日習・日講は未だ嘗て宗祖の判教の網格を信用していない。それが故に、宗祖の本意を大きく害している。▼▼今思うに、何故にただ迹門当分の迹因を用いて、これを以て、本果の中の本因となることが有ろうか。もし、本因の益でないのならば、本果の益を得ることは出来ない。だからこそ、迹門は本門に破され開顕されて、これによって迹因の当体が全く本因となるのである。この本因及び本果を用いて、「十法界抄」は「迹門と本門の二種は共に真実」と判じているのである。宗祖は、このように「法華文句記」の文を転用している。そうであるからこそ、上記に「法華文句記」の文「故知迹実於本猶虚」(故に知んぬ、迹の実は本に於いて猶虚なり)の八字を取り上げて、迹門を破して本門を顕す意義を示すのである。まして宗祖が、この二句八字を挙げて、「迹門既に虚なること論に及ぶべからず」と考えられたと言うとは尚更である。▼▼これは迹門に説く所の実因を用い、次にこれを奪斥する時には、虚となるとの義である。そうであるのに、「日習記」には、「もし迹門の実因がなければ、如何にして本門に至って果の益を得るというのであろうか」と言う。嗚呼、彼は何と言うことだろうか。本門に至っても、迹因を破して開顕せずして、直ちに果の益を得ると言うのであろうか。▼▼私は、この一段落は、且らくただ一般的な随義転用に基づいて、宗祖が引用した天台大師の判釈を弁明していると述べた。もし、宗祖の地涌菩薩としての開顕の智眼及び天台大師が内鑑した所の随義転用に基づくならば、これ則ち「十法界抄」の本意である本門観心の教義を顕すに十分なものとなる。何故に日習は見ないのであろうか、宗祖が「十法界抄」に「本具の十界顕さずんば、本有の菩薩界無きなり」と既に言われているのを。▼▼一、十法界抄の「もし本門顕れぬれば」等の、これより以下は正しく本迹不二の義を顕す所である。云く「もし本門顕れぬれば、迹因迹果は則ち本門の本因本果と顕るるなり」と。これは、本門によって破され開顕せざるして、迹因迹果が直ちに本因本果となると言うことではない。この御書に「迹門の仏因」及び直ぐ下に「迹門の円因」と述べているのは、且く所開としての名を挙げたものである。則ちこれは本門に顕わされた所の体内の迹であって、体外の迹ではない。▼▼一、「天月水月本有の法と成りて、本迹共に三世常住と顕るるなり」とは、もしただ天台大師が時世に応じて判釈したものに基づくならば、それは理が本地で事が垂迹であるということを重要とするものであるから、その義は結局、本仏の寿命が非長非短であるという深理を顕すのみとなる。今、宗祖が判ずる所の意は、無始の報身・応身の事常住の義を用いて、これをすべて十界因果の総体に冠し、また彼の「非長非短」の深理を、この事常住の中に包摂するものである。▼▼一、「一切衆生の始覚を名づけて迹門の円因と言い、一切衆生の本覚を本門の円果を為す」ということについて、日健記(御書鈔)には、一切衆生の始覚と言うは、衆生に具する菩薩界が常修常証するということであって、これが迹門の円因であり、一切衆生の本覚と言うは、報身仏である如来が常満常顕することであって、これが本門の円果であると言う。そして、我等凡夫がこの功徳を具足しているというのである。▼▼この「日健記」は、常修常証・常満常顕の言葉を挙げているけれども、一向に報身・応身の事常住の義は述べていない。私は、その常修常証とは無始の本因であると述べた。宗祖の前の判釈に、「本具十界互具を顕さずば、本有の菩薩界無きなり」と言われている通りである。何故に日健は、始覚という迹門の名を呼ぶことに迷って、直ちに迹門所説の円因となると言うのであろうか。また今御書に言う所の「一切衆生の本覚を本門の円果」と言うとは、釈尊は既に無始の古仏と一体であると言うように、先仏が顕した所の報仏・応仏事常住による始覚・本覚不二、及び因果不二との本果妙を用いて、これを以て下種と為すということである。これは先仏の本果が、釈迦に下種されるということである。しかる後に、今仏は本因妙より本果妙に至るのである。また我等衆生は、今仏が所顕した報身・応身の事常住及び本果妙を用いて、これを以て下種となす。これが、従果向因の法門である。然る後に、我等は本因の位より、遂に本果に至るのである。これが、従因至果である。また遠く過去を推察しても、無限であり無始である。今より遠く未来を推察しても、無限であり無終である。このように、従果向因・従因至果に全く前後は無い。恰も車の両輪の如く、暫くも離れることが無いのである。この御書に、「一切衆生の本覚を本門の円果」と言うのは、この無始の事常住・因果不二の本果妙及び常満常顕を指して、これを以て衆生本具の本門円果を判じているものである。この直ぐ前の「一切衆生の始覚を名づけて迹門の円因と言う」とは、本迹不二の迹である。及び常修常証とは無始の事常住のことであって、迹門当分の所説においては、到底有り得ない法門である。▼▼一、修一円因感一円果とは、妙楽大師の「法華玄義釋籤」第七巻に、「もし是れ本因は多種なるべからず。只応に一円の因を修して一円の果を感ずべし」と言う。また、「法華文句記」第一巻には、「本地の自行ただ円教と合す、化他は不定教また八教有り」と言う。私が思うに、「法華玄義釋籤」に言う所の一円とは、これはただ多種に対する語であって、則ち化法・化儀八教の中の一円教を指すものである。この一円教に於いて、爾前と迹門と本門には重々の深浅が有るのである。ところが一致派は、この一円を誤って解釈して、これを以て直ちに本迹二門は同致であるとの依拠とすると言うのだから、全くもって何と愚かなることであろうか。今指摘するに、宗祖は地涌菩薩として本門開顕の智眼及び天台大師の内鑑した所を用いて、「一円の因を修して一円の果を感ずべし」の釈を引用し、そして無始の本因本果、実修実証の本地難思の境智を顕したのである。また直ぐ前の「一切衆生の始覚を名づけて」等の宗祖の判釈は、ただ九界所具の仏界ということに基づいて、これを判じたものである。今判じた所の意は、所具している因行果徳の功徳は、必ず修行せし事の功徳の力によって、始覚を顕すとの義を示したものである。汝達よ、我等がもし修顕得体の日、即ち修行が成就して悟りを得るに至ったならば、これは則ち無始の始覚であり、無始の本果を顕すものであるから、また無始の本覚と名づくのである。また我等は、無始の常修常証及び無始の常満常顕を顕すのである。また知るべきである。これらの義を鑑みて、これを以て直ぐ前に記された「(本覚の)天月と(始覚の)水月が(無始)本有の法と成りて、本迹共に三世常住と顕るるなり」との宗祖の判釈を拝見すべきである。▼▼一、この御書の最結句の判釈は、これまでの大段第四重の難問において、宗祖が専ら本門観心の意を用いて、迹門を破斥し開顕して、本門に所顕された本門の立場から考える不思議の本迹を明らかに示したものである。ところが日講は、ただ「皆是真実」の判釈より「一円の因を修して」等で終わる十二行を以て、これを科段として本迹一致を明かすと言い、逐一に曲解するのである。これに対して、私も逐一反論を述べ終えたところである。私は今、最結句の宗祖の判釈を挙げて、老いた狐の如き日講の尻尾を出さしめたいと思う。宗祖は今まで述べた諸々の判釈を総結して曰わく、「是の如く本迹二門は共に真実であるとの法門を談じても、迹門並びに爾前教は、もし本門が顕れされなければ六道を出離することは出来ない。まして九界を出離することなど不可能である」と。何故に、日講は如是の二字を見ないのであろうか。日講が科段した所の十二行の宗祖判釈は、則ちこの如是の二字の中に摂せられて存在するものである。ちなみに、遺言とされる「身延山御書」の最結句に「我身の内に三諦即一、一心三観の月曇り無く澄けるを、無明深重の雲引覆つつ、昔より今に至るまで、生死の九界に輪廻する事、この砌に知られつつ」とあるも、今の結句の判釈と同じものである。▼▼日好の「録内扶老」第十三巻には、次のように述べられている。始覚本覚の語は、本来「金剛三昧経」や「大乗起信論」等に出ているものである。修行を成就することを以て始覚とし、本来より有している理体を以て本覚と言う。天台宗は古来より、専ら始覚本覚を用いて、本迹の二門に分けて対比させている。そして、この「十法界抄」もまたこれによって、本迹二門を分別し判釈しているものか。それ故に、「総勘文抄」は、一般的な所謂理性をもって、これを則ち本覚と為すと。▼▼私が思うに、彼の「総勘文抄」は、日好が言う所の理性を本覚とする文でる。それ故に彼の書は、専ら天台慧心流・兜卒覚超が所述の「自行略記」に準じて止観の意を示している。日好もまた度々「自行略記」を引用して、「総勘文抄」に会合している。「自行略記」の最後には、次のように言う。「自行略記」の所詮は、是の如くを「自行略記」を明らかに示すのは、止観一部の総勘文だからであると。既に止観の意に準ずるとあるのだから、則ちこれは爾前迹門の理本事迹の分際のみということである。何故に日好は、「十法界抄」と 「総勘文抄」の両書を混合して、豆と麦の区別さえつかない愚かなことを言うのであろうか。そもそも、この「十法界抄」は、宗祖が本門観心の主旨を述べて、法報応の各三身・無始の事常住を本覚とするのである。何故に日好は、爾前迹門の堅固ならざる法門の身を用いて、本門の堅固舎利経(法華経の異名)と会合するのであろうか。 ▼ * 自行略記:源信 自行略記注:覚超 |